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金曜日, 1 月 30th, 2009 | Author: Nao

クローン病の患者であり、大麻の医療使用を求める成田さんの「医療大麻解放戦線」を、私たちは断固支持します。

嗜好品が政策論・厚生福祉の分野に属するのに対して、医療使用に関しては、議論の余地はありません。国家が患者の権利を奪うことは、それ自体が反国家的行動であり、もう少しいえば、全体主義的です。むしろそういった前口上の必要すらなく、医療使用を求める成田氏の主張は、「真理」など共同幻想だと言い捨てる社会学、政策論の分野においてすら、ほとんど「真理」です。

これに対して、やはり「海外に移住すればいいだけ」なのに、何を勝手に騒いでるの、という反応があります。日本の知的レベルの低さを痛感します。

そうではない。明らかにそうではなく、成田さんは、海外に移住するということも(おそらく)できたのにも関わらず、敢えて日本で、日本の状況を変革するために自らの実存を賭して立ち上がったのです。

これに対して、「海外にいけばいい」との言明は、自分が日本という国家の法律に責任を持つ、すなわち、医療使用を求める人間の権利を抑圧している責任があることを隠蔽するだけの、「無責任の構造」の一つに過ぎません。

若干mixi上でも議論があったので紹介します。これが面白いのは、この議論が行われたのは大麻について普段から議論しているスペースではなく、全く関係のない、世論について論じるコミュニティだということがあります。また、自分がそれをやっちゃっていてあれなのですが、擁護や援護は一切必要ありません。単に面白い読み物として参照して下さい。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39167896&comment_count=87&comm_id=189071

一部自分の書き込みを引用します。

>>64さんの
>あなたに道は開かれている。わざわざ日本国内で騒ぐ必要など皆無。他国では許されてるのだから。
この点については、それは部外者が無責任に言えることではない。ということを確認しておきます。

当事者であるトピ主さんは、実際にクローン病で苦しんでおり、実際EUのほとんどの国や、北米などではクローン病など、炎症性の病気に対する鎮痛作用、炎症抑制作用のあるカンナビノイドが合法的に用いられてます。

ところが、日本では諸々の歴史的経緯(ポツダム省令の形式的受容など)があり、その後の「ダメ絶対」キャンペーンで、大麻は犯罪のシンボルとして語られるようになりました。
確かに、海外にいけば済む話じゃないか、と部外者はいいたくなりますが、それは部外者の目線であって、当事者の事情を何も知りえないからこそ、成立する語りだといえます。

例えば米国では、1960年代まで、同性愛行為は違法でした。このとき、米国民の多くは、海外に移住することが容易であり、したがって他の英語圏の国に移住することは選択肢として現実的なものでした。
ところが、それは国内の法運用が間違っているのではないか、という疑義の元に同性愛者による活動が行われ、ソドミー法が改正された。
もちろん、大麻問題とソドミー法は同列に語ることのできるものではありません。しかし、基本的には憲法で保障されるところの「幸福追求権」、すなわち他者の法益を侵害することのない行為によって、何人も逮捕されることのない権利を、当事者が求めている、という点においては同様でした。
そして、その運動は、社会の大多数が「同性愛は悪だ」「同性愛は社会に必要がなく、個人が勝手な幸せを言っているだけだ」と考えていることへの抵抗であったわけです。
同様に、日本では大麻が「悪」だと語られ、医療使用についても「移住すればいいだけ」とすら言われます。ところが、日本以外の多くの国ではそうではないわけで、その点を考えることなく、日本ではダメだから、という理由で違法であることの根拠を提示することは思考の中断になります。

結局、こうした法改正の運動に乗り出すかどうかは、当事者主権によって決められるべきであって、その問題に関与しないものが、他所の国にいけば?というのは、その言明によって、実は自分の国の法律がいかに運用されるべきか、という問題を正面から問うことなく「現状」を根拠にして現状維持を行おうとする、同語反復的な(したがって、責任を他者に転嫁する)構造を内包してしまっている、という点には留意したほうがいいと思います。

ソドミー法の問題とは、同性愛者の問題ではなく、全米の人間が責任を持つ問題でした。
ひょっとすると、これと同様の問題が、大麻取締法や、医療使用を認めない日本の法律にもある可能性があるんじゃないか、ということが、思考の出発点になるのではないでしょうか。

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月曜日, 1 月 26th, 2009 | Author: おおぞら

Press Release  報道関係者様各位

大麻に関する対話会「カンナビスト・トークフェスタ in Osaka」開催のお知らせ

 大麻といえば、「大麻汚染」でしか語られない日本の閉塞した言論状況に、いくつもの異なる視点―政治哲学・権力論・医療大麻・ヘンプ産業論―で、大麻問題にかかわる新進気鋭の論者が変則的かつ真面目にアプローチする対話の場が大阪で開催されます。

  日時:2月22日(日)14:00開場 14:30スタート、17:30終了
  場所:劇場 AManTo天然芸術研究所 ( 大阪市北区中崎西1-1-18 / tel : 06-6371-5840)
  *入場料 2000円、学割・予約1500円 (ドリンク補助券あり)

 2月22日に市民団体カンナビスト主催の対話会「カンナビスト・トークフェスタ in Osaka」が、大阪市北区の 劇場 AManTo天然芸術研究所で開催されます。
 昨年、大麻汚染の報道がメディアを賑わせましたが、国もマスメディアも大麻を「乱用薬物」「麻薬」「覚せい剤」と同一視しています。大麻取締法によりわが国では毎年3000人を超える逮捕者が出ています。その大多数は一般市民・学生です。
 主要な先進国では、よく知られているオランダだけでなくドイツ、スイス、イギリス、フランス、スペイン、カナダ、オーストラリア、ロシアなど、大麻は「非犯罪化」(犯罪としては扱わないこと)され、刑事罰の対象から外されています。アメリカでも12の州で非犯罪化がなされており、連邦法でも単純所持・栽培に関しては刑罰は重くはありません。
 このような世界の動向は、大麻には著しい有害性は認められないという事実が客観的に認められてきたことによるものです。大麻は、他の有害性の高い規制薬物に手を出すようになる入口になっているという仮説はアメリカの公的研究でも否定されています。
 しかし、わが国では長い間、大麻に対して偏見や誤解がまかり通っていたこともあり、窃盗や傷害と同じ刑事事件として重い刑罰を科せられています。大麻取締法で逮捕された人たちの多くは、仕事や社会的立場、家庭生活が立ち行かなくなり、人生を傷つけられています。
 わたしたちカンナビストは、このような日本の大麻規制の状況は公権力による人権侵害であると訴えます。
 大麻問題は、薬物問題も含めて、まず規制ありきで、社会的に議論することが認められない、タブー化した状況にあります。このような状態はおかしくはないでしょうか。
 今回、大麻問題をテーマに国内における産業大麻の第一人者である赤星栄志氏の他、新進気鋭の論者を招き対話の場が開催します。広報方ご配慮を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

マスメディアの取材など、積極的に対応いたします。ご関心のある方は、カンナビストまでご連絡ください。

 連絡先ホームページ:http://www.bvoh.jp/cannabist/
 イベント案内 (詳細):http://www.bvoh.jp/cannabist/?p=565
 E-mailアドレス:cannabisty@mail.goo.ne.jp (カンナビスト関西幹事 山本宛)

 「市民団体カンナビスト」概要・・・日本の大麻(マリファナ、カンナビス)取締りは、著しい有害性は認められない大麻に対し過剰に厳しい刑罰を科しており、年間3000人以上の市民が逮捕されている状況は公権力による人権侵害であると訴えている非営利の市民運動。

1999年設立、会員4646人(2009/01現在)。http://www.cannabist.org/

※このイベントは日本国憲法第19条(思想・良心の自由)、21条(表現の自由)に基づくもので法律を遵守して行われます。

2009年1月26日 市民団体カンナビスト

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月曜日, 1 月 26th, 2009 | Author: おおぞら


三が日もとうに過ぎてしまいましたが、皆様あけましておめでとうございます。
カンナビスト関西のWEBサイトでの告知がありませんでしたが、
12月25日(日)に、Salon de AManTO 天人で1月のサロンが開催されました。

また、オフィシャルな集まりではありませんが、サロン前日の24日に、
心斎橋に集まってカンナビス・トークフェスタのフライヤー配布を行いました。
フライヤーを設置してくださったお店の皆様ありがとうございます。

上記2つの告知をWEBサイトで行わず、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

 

 

 

 

現在、カンナビスト関西では、

>2月22日に開催される大麻問題についてのトークショー
 「カンナビス・トークフェスタ in Osaka」 http://www.bvoh.jp/cannabist/?p=565

>4月26日に開催されるアースデイ@はまでらこうえん(大阪・堺市)にブース出展(予定)

>マリファナ・マーチ in Osaka 2009
 開催日時は、 第一希望:5月31日(5月末の日曜日)か、第2希望:6月7日(6月初めの日曜日)を予定。
 開催場所は、昨年と同じ大阪城公園を予定しています。
 大阪市の規定により、場所の予約は「2ヶ月前」でなければできない為、
 正式日程の通知は開催2ヶ月前になります。

カンナビス・トークフェスタ in Osaka は、マリファナ・マーチの準備会が何度か行われる予定です。
カンナビストの活動は、ひとりひとりのボランティアの力、カンナビストを応援してくれる人のカンパによって成り立っています。
2008年に続き、マリファナ・マーチを通じて大麻の問題を多くの人に知って貰い、大麻なんかで捕まらない社会が、ひとりひとりの想いによって実現できるよう、ご協力お願い申し上げます。

カンナビスト関西は、あなたの力を必要としてます!!

★大阪サロン1月レポート ★
*ちなみに公式ではなく私見です。誤りや抜けがあれば指摘・補足お願いします。

本日の参加者は、9人でした。

1)カンナビスト・トークフェスタについて
1-1.フライヤー(A4ポスターサイズ)およびPress Releaseの配布
   配布する場所、配布方法の話し合い
大阪を中心とした関西周辺の大学の放送部にPress Releaseを郵送。
1-2.当日のタイムスケジュール、役割分担、準備について打ち合わせ

タイムスケジュールは、こちらに
http://mixi.jp/view_event.pl?id=38361124&comm_id=23269

2)ヘンプ樹脂製プラスチックの「うちわ」の製作について
大阪でヘンプ製品を扱う(株)オリオン様からの提案
  →関西のみの判断では難しい件なのでカンナビスト運営委員会の確認得てから
   関西カンナビストとしては前向きに検討

3)4月26日に開催されるアースデイ@はまでらこうえん(大阪・堺市)にブース出展
  1月サロン参加者の同意を得て決定。
  物販ブース(3,500円)と展示ブース(無料)の2ブースを予定。
  アースデイ@はまでらこうえん http://gaia-takaisi.jugem.jp/

4)マリファナ・マーチ Osaka 2009について
  開催場所は、大阪城公園を予定
  公演管理事務局の決まりにより、場所の予約申込みは「2ヶ月前」でなければできない。

  開催日時は、
  第一希望:5月31日(5月末の日曜日)か、第2希望:6月7日(6月初めの日曜日)を予定。

 また、フライヤーや宣伝に必要なデザイン(グッズ、フライヤー)など、また今後、運動を広めていく上で関西独自に協賛や寄附などを探すなど、資金について意見が交わされました。
 関西独自の財源はライターの売上くらいで、マーチで赤字が出たら補填されて、すぐに消し飛んでしまう状態です・・・。

 あと、社会情勢や大麻問題について色々と雑談しました。

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金曜日, 1 月 23rd, 2009 | Author: Nao

今日、多くのメディアがオバマを絶賛しています。今年ノーベル経済学賞をとったポール・クルーグマンはオバマ政策を賞賛する論文を発表しました。

Change!

しかし、何が変わるというのでしょうか。大麻政策にも希望が見えるのでしょうか。世の中の人がこぞってオバマを賞賛していますが、私個人としては、オバマはストーリーを演じる俳優のように見えます。舞台の結末がハッピーエンドであるのか、それともペテン師としてのオバマが登場するのかは、未だ分かりませんが。私がオバマに対して、違和感を感じるのは主に次の二点です。

第一に、オバマに限らず、今回の大統領選は特にお涙頂戴のストーリーと、パフォーマンスと、演説をタイプするスピーチライターの取り合いであったということです。本来論理的・理性的に政策の中身をつめて、エビデンスによって議論されるべき政策の話題は、その多くが感動の「ライフストーリー」語りによって覆い隠されてしまいました。

感動のスピーチも、腕まくりをしてボランティアに励むというパフォーマンスも、あっていいでしょう。それは良くも悪くもアメリカ的な選挙です。ところが、パフォーマンスと実際の政策が食い違っていた場合、あるいは本来理性的に議論されるべき政策内容が、ほとんど知られないまま通過しているのを見るにつれ、オバマがペテン師になりえる可能性を、どうしても危惧せざるを得ないのです。政策内容の論理よりも、感動の言葉や、演劇が重視される議会政治とは一体何でしょうか。

プラトンにとって「民主主義」とは「最悪の政治形態」でした。そうではなく、それよりもましな政治形態としてプラトンは少数のものによる利害を超越した理性的政治を評価します。これはいわば、私的な利害を超えて、論理による「コミュニケーション的合理性」に到達することを目標とした政治形態でした。無論、私はこれに同意しない。

H.アレントが『人間の条件』で示したことは、そうした「知的」貴族のみによる政治は、私的な領域において奴隷を用い、公的領域を帝国と奴隷によって支えることでしか成立しえないものだったからです。しかし、今回の大統領選では、あまりにプラトンが危惧した「観客向けの」政治が行われすぎており、コミュニケーション的合理性ではなく、「感情的行為」による演出が過剰に行われすぎたようにも思います。

第二に、オバマの新閣僚選定の顔ぶれを見る限り、これはブッシュ路線、あるいはチェイニーの方針を概ね踏襲した上で、外見だけをとってかえる戦術的変更にすぎない、と言わざるをえないからです。特に軍事、外交、教育、保健政策は、ブッシュ時代のドクトリンを基本的に受け継いだままで、目先の変更に加えて感動のストーリーを包み紙としただけのようにみえます。

例えばイスラエルのガザ侵攻、あるいはシオニズムには、オバマは全く反対しません。むしろ、シオニズムを支持し、ブッシュ時代と同様にパレスチナの人々を虐殺するための手助けを行うはずです。

あるいは、カリブ海諸国に向けた、植民地政策も何ら転換しません。むしろ「強い米国」による支配を継続するために、過去の歴史を国内向けに捏造し、実際の出来事をねじまげた演説まで行っています。http://www.narconews.com/Issue53/article3109.html

ここでオバマは、カリブ諸国の植民地支配からの脱却を、米国は常に支持してきたし、二人三脚でリベラルな方向へ向かってきた、と述べます。もちろん、少し歴史を知っている人であれば分かるとおり、真っ赤な嘘であり、国内向けの演劇にすぎません。ヨーロッパ列強がカリブ諸国から撤退し始めた矢先、米国は帝国主義的に植民地を奪い取り、キューバやその他の国々を事実上支配下においてきました。キューバと「リベラルな姿勢」を歴史的に共有してきたとは全くいえません。むしろ米国はキューバの一部上流階級と結束して、南アフリカのような経済植民地体制を強化してきましたし、必要がなくなれば手のひらを返して経済封鎖をしました。

確かに、オバマはブッシュよりも「まし」でしょう。そのことに異論はありません。しかしブッシュよりもひどい大統領が、果たして存在するでしょうか?オバマはより「人間の顔をした」ブッシュではないのでしょうか。少なくとも外交、軍事戦略ではそのようです。「金融危機」と泥沼の「対テロ戦争」によってこれまで確固たるものであった米国の覇権がゆらぎつつある今、ブッシュ・ドクトリンにおける失敗や、戦術の誤りを修正し、「リベラル」の包装紙でつつまれたオバマに対して、いまや全米がオバマに喝采を送っています。

胡散臭い、といっては言いすぎでしょうか。これほど世界の多くの人々が賞賛するオバマを、斜めからみてしまう私の見解がひねくれすぎでしょうか。おそらくそうかもしれません。杞憂であるにこしたことはありません。

しかし、今のところオバマは、演出プランナーやゴーストライターを数多く抱える、一大劇団として、極めて鋭敏に「世論」を汲み取ろうとしています。これは確かに大麻問題にとっては追い風になりえる風潮です。

新たなニューディール政策を実行に移すオバマ政権は、遅かれ早かれ、近いうちに緊縮財政へと移行せざるをえません。全面的緊縮財政になるか、あるいは限定的なものになるかは景気動向によりますが、その場合、Mironが論じるような大麻政策の転換によって、警察・司法コストを軽減し、新たな税収源が得られるという議論は非常に魅力的な選択として登場する可能性があります。

私の今のオバマ評価は、「これは政治ではない」というものです。すなわち、オバマ政権は、大々的なスペクタクル装置を伴って、ブッシュの幕が終わったことを告げながら、幕の裏では米国覇権主義・ポピュリズム路線を踏襲しています。したがってこれは「演劇」である。

しかし、演劇であるからこそ、それを観る観衆によって役者の演技は変わってきます。役者であることを今更非難しても仕方がないでしょう。米国の政治とはそもそもそういうものです。そうではなく、感動のストーリーに誤魔化されないということ、これが重要です。

大切なことは、その演劇を見ていると思っている観客も、実は舞台から逃れることはできていないということであり、観客としての地位を隠れ蓑にして、役者のせいだけにすることはできないということです。

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水曜日, 1 月 21st, 2009 | Author: Nao

 学内雑誌に論文を出さないといけないということで、イギリスにおけるドラッグ政策の歴史的経緯と昨今の「Pot Politics」についてまとめています。丁度二ヶ月ほど前に、熊大の佐藤哲彦氏らとラウンドテーブルを企画して発表したものがあるので、半分くらい焼き直しです”(,, ゚×゚)”

 とはいえ、口頭で話したものを文章化するのはとても良い機会ですから、新聞類、雑誌などでcannabisの話題がでているものを再検討しまして、次のようなことを再確認しました。

 cannabis study houseの記事に詳しいですが、イギリスではブラウン政権(正確にはBlunkettが辞任した後のブレア政権からの流れ)が大麻のアップグレード法案を提出しました。

 ここで論拠とされたものは、「skunk」なる非常に効力の強い大麻が出回っていて、これが「殺人」や「自殺」を多発させているから、ということですが、これには次のような理由があります。書きかけの文章を引用します。

 「このように、カンナビスの効力が飛躍的に増加し、そのため従来の薬学研究を適用することのできない未知の事態が起こっているとする語りは、当該リスクを測定不能な領域におくことによって、不可知のリスクに対する「行動」を正当化すると同時に、B. Mirkenらが指摘するように、現在と過去を切り離す戦略であったと解釈することができるだろう(Mirken,2007)。つまり、70年前後のヒッピームーブメントを体験した現在の親世代に対して、当時の「マリファナ」と現在の「スカンク」は全く異なるものだと言明するものであったというわけだ。」

 

 

 ここで引用したMirkenの論文は、M. Earleywine編の”Pot Politics -Marijiana and the Costs of Prohibition”(『大麻をめぐる政治―大麻規制とそのコスト』)に収録されていますが、ここでMirkenは米国における大麻規制のレトリックは「現在と過去」を切り離す戦略のもとに行われてきた、と論じます。つまり、70年代の「マリファナ」と近年品種改良によって新たに流通した「何か」は全く別物であり、その「何か」は非常に危険な「ドラッグ」であるというわけです。

 

 ここで論じられる「スカンク」や「何か」は、実は現実に存在する特定の物質とは何の関係もありません。そうではなく、これは私たちが日常生活で用いているある種の包括的なカテゴリーのことを意味しています。

 

 例えば「男/女はみんな~だ」「中国人/黒人/ジャップとは~だ」とするこうしたカテゴリー構成は、会話分析の手法に従って解釈するのであれば、「極大化された語り」にあてはまります。

 つまり、明らかに全ての女性が感情的であるわけではないし、全ての黒人が暴力的であるわけではない、ところが、「全ての~は~である」との言明はそうした「事実」をスルーして、あたかも~であるかのように特定のカテゴリーを、日常会話の中に位置づけていく。そしてそのことによって、日常会話が成立しています。例えば「結局、Aさんってこういう人だからね」というように。

 

 こうした用法は、とても一般的なものですし、それなくしては日常会話は成立しえないともいえるものです(この店のカレーは間違いないよ)。したがって、ここではこのような一般化の語り方それ自体を批判したいわけでは全くない。ところが、こうした言明が、他者に対する排他的な意味を含みこむ場合、それは自明な権力性を帯びます。

 

 また、こうした一般化の語りは、専門用語としての言語編成とはかなり異なるものです。すなわち、現在ストリートで流通している大麻を対象としたサンプル調査や、そこに含まれている成分が何であるかといった分析は、「スカンクが殺人事件の犯人だ!」というタブロイド紙の見出しとは相容れないものです。

 

 イギリスではいわゆる高級紙・普通紙・タブロイド紙(スポーツ新聞)が明確に区別されていますが、Guardianなどの高級紙は、日本でいう「新聞」の内容とは全く違います。これは日本の新聞における記者クラブの存在や、販売方法などに由来するものだともいえますが、Guardianや、あるいはフランスのル・モンドなどの高級紙は、日本でいえば『現代思想』や『エコノミスト(の一部の記事)』のような専門的な商業雑誌と同じレベルの記事を中心に載せています。

 

 なので、ACMDの見解は「大麻問題」を論じる際のごく基本的な前提知識として出てきますし、その上で、ブラウン政権の政策が「不合理」かつ「曖昧」なものだと批判される。こうした論調は日本の大手メディアには全くみられないものです。

 

 これに対して、Daily MailやThe Sunといったスポーツ新聞の類は、そうした専門的な文脈とは関係なく、とにかく「スキャンダラス」な見出しを掲げようとします。マーケティングからすれば、至極当然のことです。したがって、大麻が「統合失調症」の引き金になり、「殺人」や「自殺」を頻発させている!といったネタ記事が、芸能スキャンダルの隣にでてきたり、あるいは王宮の警備員が大麻を吸っていた!ということがバッシングの材料になります。

 

 もちろんこれを書いている人も、読んでいる人の大半も、これがネタであることを理解していると思われますし、「黒人が暴力的」でないのと同様に、「大麻喫煙が自殺をもたらす」とは思っていないでしょう。しかし、こうした語りのスタイルが至極一般的なものになり、パブで大麻問題が語られると同時に、「それだから最近の若者は!」といった話と接合されることで、こうしたネタ話は、日常会話レベルではベタな話しになります。

 

 そして、ブラウン政権は、発足当初からブレア前首相によるカンナビスへの厳罰姿勢を受け継いでいますし、政策的な一貫性をもたせるという意味でも、あるいは大麻=逸脱とするタブロイド紙のネタ話に追従することで世論を喚起するという点においても、大麻のアップグレードを極めて政治的な意味で合理的な選択だとみなしたわけです。

 

 政治的な合理性と、薬学や統計の合理性は勿論異なります。政権与党の主な関心事は、何が「科学的に正しい」選択なのかではなく、何が「得票数を引き上げるか」なのであり、そして、後者の関心があまりに強まればそれは「ポピュリズム」になりえます。

 

 そして、ブレア・ブラウンの労働党政権は、Crime and Disorder法を成立させるなど、国内的な「社会問題」への対応は、非常に右派的なものでした。これは保守党と大きな差のない政策であったといっていい。

 それというのも、80年代までの労働党はいわゆる「組合運動」を支持する左派政党というイメージであり、中産階層にとっても、富裕層にとってもあまり受けの良い政党ではなく、長らく政権の座から退いていました。この組合政党というイメージから脱却するために、ブレア元首相は経済的には「第三の道」路線を選択して、左派にも右派にも良い顔をすると同時に、国内問題に対しては「断固決断」たる姿勢をとることで、決断力や「タフさ」をアピールすることに成功しました。

 ちなみに同時期の日本は、国内問題に対しては、これとほぼ同じ形式をとりながら、経済問題に対してはネオリベ路線を選択した小泉政権のころです。

 

 こうした国内問題に対する「タブロイド紙」的アプローチが、短期的には政治的に有効である理由のひとつとして、明確な「社会の敵」を作り上げることができるからです。

 E.デュルケムは、多くの犯罪とは、結局はその社会の連帯を保つという機能のもとに成立している、と述べましたが、いみじくもイギリスでは大麻問題が「良家」の敵として名指しされた。当初は芸能スキャンダルと同じネタであったものが、ベタ化したわけです。

 これと同様の出来事を、小泉―安倍政権における少年の「凶悪犯罪」言説や、「外国人犯罪の急増」に対する「安全・安心な社会」というスローガンに観察することができます。

 

 ここにおいて、言説レベルでのネタは、「事実」がどうであるのかといった問題を参照する必要がなくなります。なぜなら、その社会における多くの成員が、その言説を日常会話レベルで信じている、あるいは流通させている限りにおいて、「本当に」凶悪犯罪が増えているのかどうか(統計的な実数は減っていたけど)はもはや関係のない問題だからです。いわば、「社会問題」がシミュレーションになる。

 

 そして、そのシミュレーションをもとにして、「得票数」を目的とする政権与党が政策を立てる。これはほとんどお祓いの儀式です。

 

 「凶悪犯罪」や「大麻」を良き社会の外部におくことで、お祓いの儀式を行い、そしてその行為自体によってワレワレの結束力を高める。これに対して、R.マートンという社会学者は原始社会における「雨乞いの儀式」を分析することで、近代社会もそれと同様の構造を内包していることを示唆しました。

 

 さて、言うまでもなく、カンナビストはこうした安易なワレワレの創造を批判します。けれども、ここで注意すべき点は、そうした「安易なワレワレの創造」を非難する新たな「我々」には決してならないということ、これです。

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