クローン病の患者であり、大麻の医療使用を求める成田さんの「医療大麻解放戦線」を、私たちは断固支持します。
嗜好品が政策論・厚生福祉の分野に属するのに対して、医療使用に関しては、議論の余地はありません。国家が患者の権利を奪うことは、それ自体が反国家的行動であり、もう少しいえば、全体主義的です。むしろそういった前口上の必要すらなく、医療使用を求める成田氏の主張は、「真理」など共同幻想だと言い捨てる社会学、政策論の分野においてすら、ほとんど「真理」です。
これに対して、やはり「海外に移住すればいいだけ」なのに、何を勝手に騒いでるの、という反応があります。日本の知的レベルの低さを痛感します。
そうではない。明らかにそうではなく、成田さんは、海外に移住するということも(おそらく)できたのにも関わらず、敢えて日本で、日本の状況を変革するために自らの実存を賭して立ち上がったのです。
これに対して、「海外にいけばいい」との言明は、自分が日本という国家の法律に責任を持つ、すなわち、医療使用を求める人間の権利を抑圧している責任があることを隠蔽するだけの、「無責任の構造」の一つに過ぎません。
若干mixi上でも議論があったので紹介します。これが面白いのは、この議論が行われたのは大麻について普段から議論しているスペースではなく、全く関係のない、世論について論じるコミュニティだということがあります。また、自分がそれをやっちゃっていてあれなのですが、擁護や援護は一切必要ありません。単に面白い読み物として参照して下さい。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39167896&comment_count=87&comm_id=189071
一部自分の書き込みを引用します。
>>64さんの
>あなたに道は開かれている。わざわざ日本国内で騒ぐ必要など皆無。他国では許されてるのだから。
この点については、それは部外者が無責任に言えることではない。ということを確認しておきます。
当事者であるトピ主さんは、実際にクローン病で苦しんでおり、実際EUのほとんどの国や、北米などではクローン病など、炎症性の病気に対する鎮痛作用、炎症抑制作用のあるカンナビノイドが合法的に用いられてます。
ところが、日本では諸々の歴史的経緯(ポツダム省令の形式的受容など)があり、その後の「ダメ絶対」キャンペーンで、大麻は犯罪のシンボルとして語られるようになりました。
確かに、海外にいけば済む話じゃないか、と部外者はいいたくなりますが、それは部外者の目線であって、当事者の事情を何も知りえないからこそ、成立する語りだといえます。
例えば米国では、1960年代まで、同性愛行為は違法でした。このとき、米国民の多くは、海外に移住することが容易であり、したがって他の英語圏の国に移住することは選択肢として現実的なものでした。
ところが、それは国内の法運用が間違っているのではないか、という疑義の元に同性愛者による活動が行われ、ソドミー法が改正された。
もちろん、大麻問題とソドミー法は同列に語ることのできるものではありません。しかし、基本的には憲法で保障されるところの「幸福追求権」、すなわち他者の法益を侵害することのない行為によって、何人も逮捕されることのない権利を、当事者が求めている、という点においては同様でした。
そして、その運動は、社会の大多数が「同性愛は悪だ」「同性愛は社会に必要がなく、個人が勝手な幸せを言っているだけだ」と考えていることへの抵抗であったわけです。
同様に、日本では大麻が「悪」だと語られ、医療使用についても「移住すればいいだけ」とすら言われます。ところが、日本以外の多くの国ではそうではないわけで、その点を考えることなく、日本ではダメだから、という理由で違法であることの根拠を提示することは思考の中断になります。
結局、こうした法改正の運動に乗り出すかどうかは、当事者主権によって決められるべきであって、その問題に関与しないものが、他所の国にいけば?というのは、その言明によって、実は自分の国の法律がいかに運用されるべきか、という問題を正面から問うことなく「現状」を根拠にして現状維持を行おうとする、同語反復的な(したがって、責任を他者に転嫁する)構造を内包してしまっている、という点には留意したほうがいいと思います。
ソドミー法の問題とは、同性愛者の問題ではなく、全米の人間が責任を持つ問題でした。
ひょっとすると、これと同様の問題が、大麻取締法や、医療使用を認めない日本の法律にもある可能性があるんじゃないか、ということが、思考の出発点になるのではないでしょうか。




