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月曜日, 2 月 22nd, 2010 | Author: Nao

2月の大阪サロンが下記日程で開催されます。
カンナビスト@関西では、どなたでも参加できるオープンな場として
毎月最終日曜日にサロンを開いています。

【大阪サロン(2月)】
とき:2月28日(日) 19:00~21:00
ところ:Cafe ちきゅうだま
(地下鉄谷町線、中崎町駅から5分)
http://www.chikyuudama.com/map.html

*今回は天人ではなく、その隣のお店です。場所変更のためご注意ください

*参加人数などによって、場所が近隣のお店に突然変わっていることがあります。はじめて参加される方はフリーメールでも結構ですので、一度ご連絡をいただけると嬉しいです。

今回の大阪サロンでは、以下のような話をする予定です。
○現在進行中のプランについての相談

○東京での非犯罪化運動の動向、医療大麻裁判などについての情報共有

○大麻非犯罪化運動のための具体的な戦術

○関西カンナビストHPについて

○今後、大麻非犯罪化運動を進めていくための諸々の方策

*あくまで社会運動としての「大麻問題」を話し合う場です。

以上のような話だけではなく、雑談なども多くあるかと思います。
「楽しく、真面目に」がモットーの大阪サロンです。

参加者は4名から多くて10名程度の小さな集まりですが、
新規の方も多く身内ノリは全くないと思います。気軽に飲みにきてください。

ご不明な点などは、お気軽に下記メールまでご連絡下さい。

尚、サロンでは以下のようなことはお断りしています。
*ナンパ行為
*違法の物品の持込や、その他法令に触れる行為

主催
カンナビスト@関西
http://www.bvoh.jp/cannabist/

カンナビストHP
http://www.cannabist.org/index.html

(幹事メール)cannabisty@mail.goo.ne.jp

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木曜日, 2 月 11th, 2010 | Author: Nao

 先に、日本における大雑把な状況の俯瞰図を描いてみましたが、では、こうした閉塞状況にあって、私たちは何をなすべき、というよりは、一体何ができるのでしょうか。

 先の状況認識を踏まえたうえで、非犯罪化の道程について整理してみたいと思います。

テーゼ1:法律の改正や、摘発基準の緩和など、非犯罪化の最終的な局面に至るためには、大麻問題が、「多数者」に是認される問題とされなければなりません。

テーゼ2:「多数者」に是認される問題となるためには、「大麻喫煙」それ自体についての価値判断(大麻が素晴らしいか否か)は差し控え、この問題が「刑法」の問題であり、逮捕の是非をめぐる政策的問題であるということ、これをもっとも抽象的にいえば、<国家と自由>の問題であり、より具体的にいえば、ドラッグ政策に関する「ゼロ寛容」型方途の問題を指摘し、大麻問題をEUのように「公衆衛生」「社会福祉」の問題だと位置づけなおすことが必要だということです。

テーゼ3:政治家や、大手メディアが積極的に取り上げる問題として、大麻問題の「状況の定義」を変更させるために、日本において辛うじて取りえる道は次のものです。

 1)現在政権与党が推進するNPOと与党との提携に食い込む。食い込めないまでも、少なくとも「大麻問題」についての知識を、政治家有志に伝える。

 2)その際、主張の正当性を担保してくれる、学術的権威(あまり良い言葉ではありませんが)を確保するために、現役で学会活動を行っている研究者の協力を取り付ける。

 3)大手メディアが大麻問題を「問題化」するためには、すでにその問題が「売れる」そして「妥当性のある」問題であることが、より小さなメディアで立証されていることが必要です。大手メディアは、つねに、より小さなメディアが開拓した分野を剽窃することで「番組」を制作しているのであって、もっとも小さなメディアとして、インディーズ系の論壇誌、Web配信番組、大学新聞、個人blogなどがあり、これを中堅メディアである、一般の論壇誌、地方・ケーブル放送、マイナー週刊誌などに引き上げていかなければなりません。

 ⇒この点に関して、もっとも小さなメディアが、より大きなメディアに対する批評を積極的に行うことは効果的な方途のひとつです。例えばこれ

 4)大麻非犯罪化を支持する集団の場を維持し、主張の論理的妥当性を高めていくことが重要です。その場は、論壇誌などのメディアであっても、社会運動であっても、NPO法人であっても構わず、そしてその主張は複数のものであればあるほど望ましいでしょう。議論は美学や哲学のように、極めて専門的な、それゆえ参加者を予め選定するような論議対象を持つもの以外は、ほとんどの場合、閉鎖的なサークル内で発酵するよりも、パブリックな場での異なる議論の交錯によって進展し、また注目されます。

 5)4で述べたような、議論のオープンなサークルに参加する人々が増えるように、大麻問題を「面白く」あるいは「知的に洗練された」問題として議論・表現できる環境を整え(例えば、これまでフェミニズム運動がそうしてきたように)、そうしたサークルに、一名でも多くの人が参加できるように周知する。

 結局のところ、本当に「ほとんど何もできない」地点から事をはじめようとすると、このように、気の遠くなるような道程を一歩ずつ進んでいくしかないのだと思います。大麻非犯罪化のムーブメントは、あまり知られてはいないけれども、すでに「多数者が考えていること」と合致するような問題ではない以上、来月にでも改正法案が提出されるようなものでは、決してありません。そうした点において、「黒人」公民権運動や、「障害者自立支援法」の改正をめぐる大きな闘いと同じくらい、困難さの度合いは高いと思います。

 戦前のイタリアで反ファシズム運動を戦ったアントニオ・グラムシは、そのようなムーブメントの方策を的確に表現した寓話を述べていて、彼が念頭におくのはロシア革命の状況分析ですが、グラムシによるとイタリアでの政治運動とは、ロシア革命のような「機動戦」ではなく、泥臭い、ジョージ・オーウェルがスペイン内戦で戦ったような「陣地戦」でしかありえないと述べます。

 東方(ロシア)では、国家がすべてであり、市民社会は原初的でゼラチン状であった。西方(ヨーロッパ)では、国家と市民社会の間に適正な関係があり、国家が揺らぐとただちに市民社会の堅固な構造が姿を現した。国家は前方塹壕にすぎず、その背後には堅牢に連なる要塞とトーチカが控えていた(Forgacs, D., 1988, A Gramsci Reader)。

 このように、国家が単なる為政者の箱であるならば、その箱を壊してしまえば事は終わるのだけれども、市民社会と国家が「ゼラチン状」ではなく、「堅固」に結びついている場合、国家・法制度を変えるためには、市民社会それ自体の考えを変えるしかないじゃないか、ということをグラムシは主張しました。これはもちろん、一種のイメージですから、具体的に「市民社会」の思想を変えるための方策は、その時代、地域によって様々であり、そして日本における私の状況認識と、ごく大づかみな方策は、これまで記したとおりです。

 こうしたグラムシの思想を背景におきながら、これまで展開されてきた運動の代表例として「第三世界」の民族運動や、一部フェミニズムの運動がありますが、こうした運動は、グラムシが指摘したような「陣地戦」を戦ってきました。それは、グラムシの用語でいうならば市民社会内部における「ヘゲモニー」(主導権)を握るための、「機動戦」すなわち、急進的な街頭デモや、政治家への直接のアプローチのほかに、そうしたアプローチの成功可能性を高め、支持層を増やすための「文化闘争」でした。

 例えば、黒人公民権運動であれば、「黒人」イメージの転換をもたらすような、女性運動であれば、「人形の家」などの小説や、劇作、あるいは現在であれば映像や音楽を通して、多角的に「陣地戦」は行われてきました。

 先に触れた、英国における大手新聞のキャンペーンが開始されたとき、その記事に記されたサポーターの名前をみれば、大麻問題が、こうした「文化闘争」のひとつであったことは疑いをいれません。例えばごく一部だけをみても 

Tariq Ali, writer and polemicist

Brian Eno, musician, record producer, artist

Patrick French, historian and traveller

 こうした人々の「肩書き」は大学人・知識人、インディーズや中堅出版社の業界人、音楽家、小説家、医師など様々であり、そして、こうしたIndependentによるキャンペーンを可能にした、「ほとんど何もできない」かのようにみえる下からの運動が、それまでにどれほどの尽力を行ってきたのかは言うまでもないことです。

 結局のところ、私たちに与えられた選択肢は「いつの日か、国際条約が撤廃され、そして日本でも雲上人が法制度を改正するまで座してまつ」か、それとも「ほとんど何もできない」かのようにみえる中で、下からの運動を組織し、あるいはblogなど自前のメディアで、周囲の人々に対して、公然と大麻問題を周知し、議論へ引き込んでいくか、そしてそのことによって、大麻問題をめぐる世論の「状況の定義」を変革しようとするか、ということでしかないのです。

 日常、あまり語られないこと、語ってはならないこと、あるいは禁じられているがゆえに、過剰に語られること(フーコーが示したように)の対象とされているものを、正面から公然と語ることは、私たちが思っている以上に、面と向かって言われたほうにとっては大きな印象を残すものです。そうした点において、日本の「大麻非犯罪化運動」は多くの人にとって、印象に残る話題であることは間違いないのではないかと思います。

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木曜日, 2 月 11th, 2010 | Author: Nao

 カンナビスト@関西のNao. Y. です、大麻問題に関心を持ち、非犯罪化運動を継続されている方々、お疲れ様です。

 関西の活動は地味ながら、なんとか毎月の会合(会場写真←)と不定期のイベント・アクションを継続して行っています。昨年度から、私の職環境が少し変わったのと、これに伴い日常の雑務が増えてしまったことがあり、HP更新が滞っていたのですが、本年は至らずながら、なるべく月に2~4回は記事(雑文かもしれません)を書きたいなと思っています。

 本年最初の雑文として、現在の日本において、大麻非犯罪化のために何をしたらいいのか、ということを考えてみたいと思います。大麻問題に詳しい方には、あまり目新しい話はないと思いますが、大麻問題に関心があるけれども、詳しいことはまだ知らない、という方に読んでもらいたいものとして書きます。

 社会運動というのは、往々にしてすぐに目に見えるような、派手な成果の出るものではありませんから、長年運動を継続していて、これで何か変わっているのだろうか、即効性のある方策が何かないのだろうかということも、つい考えてしまいます。

 実際のところ、私たちのような、権力の中枢にいるわけでもなく、お金もない個人にとって、今すぐ大きな変化を起こせる見込みはほとんどありません。もしあなたが、大手メディアの会長、政府与党の幹部、行政官僚の事務局長級、医学界、とくに薬学の学会長であるなら、話は別です。しかし私たちはそのいずれでもなく、そしてそのような個人にとって出来ることは、現在の状況にあってほとんど何もないようにみえてしまいます。

 それにもかかわらず、大麻問題を変革しようとするとき、私たちには何ができるのでしょうか。

 まずは日本の状況について整理してみましょう。

 大麻問題は「立法」の問題であり、したがってこれは国会で「大麻取締法」の改正がなされる旨の議決さえなされれば、あるいはハワイなどのように、「大麻取締法」そのものは継続されるけれども、付帯決議として「警察は積極的な取り締まりや起訴を行わない」旨の決議がなされれば、明日にでも大麻事犯による逮捕者はいなくなります。それでは、要するに政治家が動けばいいだけの話であって、私たちは座して待つしかないのでしょうか。

 もちろん、心配するまでもなく、今の状況で政治家は、少なくとも国政に携わる政治家が大麻非犯罪化を大きな優先順位として動く可能性は微塵もありません。これは日本では特にそうだということもありますが、海外でも事情はそれほど変わらず、例えば英国でも90年代に大手メディアによる、大麻非犯罪化キャンペーンが起こるまで、議員はほとんど動きませんでした。(Tony Banksなど、ごくわずかな例はあります)

 当たり前の話ですが、大多数の議員は、「既に世論の後押しを受けた問題」を自らの主要な課題としていますし、また実利的な話として、議員であり続けるためには、世論の獲得が必要である以上、国政の舞台で「大麻問題」が正面から議論されるようになるためには、「大麻問題」が与党的な問題として、言い換えれば、世間の大多数が、「大麻事犯で懲役刑は刑罰の過剰である」という意見をもつまでは、決して国会でこの問題が議論されることはありません。私たちはこれまで、幾人かの政治家に問題を訴えてきましたが、積極的に大麻問題を取り上げようとする政治家は、ほぼ皆無でした。

 これは間接民主主義のパラドックスのひとつであり、民主主義のアキレス腱なのですが、そもそも議会で議論される問題というのは、すでに「多数者によって是認」された問題でしかありえないのです。まれに、社会運動や一部メディアの批判的圧力によって、国政が動いているように見える出来事も起こりますが、これは実際のところ、「問題があること」があまり知られていなかっただけで、その問題が周知されさえすれば、ただちに有権者多数の支持を得られる問題、すでに「多数者によって是認」されている問題であったにすぎません。(例えば中古家電のリサイクルを規制するPSE法が撤回されたように)

 したがって、現在、有権者多数によって積極的な価値を与えられていない問題の場合 ―しかも大麻問題の場合は、積極的な価値どころか、「問題について議論すること」も否定的に捉えられています― これを国政の舞台にまで引き上げ、実際に法制度を変えていくことは、離れ業のひとつなのです。

 そうだとすれば、間接民主政治によってマイノリティ的問題を変革することはできないということになってしまいますが。もちろん、決してそうではありません。そのために、全ての民主主義は「言論や集会の自由」を担保しており、少数者の意見を多数者に納得させる機会は、いつでも与えられている・・・ということになっています。

 通常、そうした少数派の意見をパブリックな場に提出するのは、マス・メディアの役割です。イギリスにおいて、大麻非犯罪化運動が盛り上がったのは90年代末のことでしたが、もっとも大きなきっかけはThe GuardianやIndependentといった、大新聞(とくにタブロイドではなく、高級紙とされているもの)によるメディア・キャンペーンでした。(欧米においてタブロイド紙(大衆紙)は俗で保守的な意見を代弁しており、大麻問題などをスキャンダラスに論じるものだとされており、これに対して高級紙は、より知的な議論を行う場だとされています。)

 ところが、日本の場合、民主主義のパラドックス問題を切り口に考えると、二つの大きな困難があります。

 まず第一に、55年体制以後、記者クラブ制度や大手新聞社内部における「自主規制」の風潮が色濃くなり、英国などにおけるような、政府から独立した役割を、大手メディアは担えなくなったといわれますし、私もそう思います。その結果、ソースの怪しい、非論理的な議論が中心であるはずのタブロイド誌においてしか(例えばプレイボーイなどの週刊誌)、むしろ反与党的な意見は提出できなくなってしまった、という逆転現象が起こってきました。

 もちろん、だからといって日本のタブロイド誌の水準が高い、ということにはなりませんが、あまりにも高級紙に相当するメディアが形骸化してしまったので、相対的に、それなりの部数を出すメディアでは、<タブロイド誌の行政・政府批判能力>(形容矛盾か?)のほうが高くなってしまっています。

 そして、英国でのGuardianやフランスのル・モンドなどに当たるような、比較的ましな議論を行う新聞/雑誌は、小数の部数を出しているような『現代思想』や、あるいはインディーズ系の『スペクテイター』などに限られており、結果として小さなサークルと化してしまいました。(こうした小・中堅メディアで大麻/刑罰政策問題の特集がされる可能性は、それなりにあると思います)

 日本における、第二の困難は、行政からも、スポンサーなどの意向が働きがちなメディアからも距離をとった公共圏を形成しうる社会運動/NPO団体、あるいは知識人層などの、独立セクターが非常に脆弱であるということです。

 英国では政府から独立した薬物問題の諮問機関であるACMDが、EUにおいてはEMCDDAなどがあり、また、非公式のものとして多くの民間財団や、NPO団体が大麻 or ドラッグ政策全般に批判的なコメントを提出してきました。つい先月も、政府によるソフトドラッグ政策を批判するACMDの委員(D. Nutt)がゴードン政権の意向によってクビにされたことが大きな問題となりましたし、また先に述べたように、Guardian紙などもこの問題をTOP級の記事として扱い、政府の対応を非難しました。

 ところ、日本における政府の「外部諮問委員」は、名ばかりの形式的なものか、あるいは元官僚および御用学者で占められており、実効的な政府批判が行われることは全く期待できません。また、社会運動やNPO法人といった市民セクターは、欧米のそれと比較することすらできない状態です。(70年代くらいまでは、とくに労働争議の分野において残っていた力も、80年代以降急速に低下させられてきました、この点において、日本は政府による市民セクターの弱体化戦略が、大いに功を奏した国の代表例といっていいと思います)

 さて、この二つの困難が、冒頭で述べた、私たちに出来ることは「ほとんどないようにみえる」ことの理由です(しかしこれは、「ほとんど」であって、「まったく」ではないことに留意して下さい)。また、これに加えて、欧米と日本の異なる事情を、さらに二つだけあげるとすれば、次の点があります。

 (1)周知のとおり、日本の大麻取締法は戦後の「ポツダム省令」および、米国主導で締結された国際条約の「単一麻薬条約」によって制定された法律です。これは法制史的にみても、「大麻による社会問題」があったために制定された法律ではありません。そして、EU諸国は国際政治的な観点からみて、相対的にみれば独自の政治ブロックを形成しており、日本よりも米国の政治的動向からは距離をとっています。しかしながら、日本は米国の政治的動向からもっとも影響を受けやすい位置にありますから、大麻取締法が究極的に「撤廃」されるのは、国際条約が撤廃された後になると考えていいでしょう。したがって、とくに日本においては、別件の立法や、警察活動の行政的方針として、「大麻摘発」の優先順位を下げることや、罰則規定の変更(懲役ではなく科料とするなど)を行うことが、可能な選択肢となっています。

 ⇒もちろん、だからといって「日本を米国の鎖から自由に!」といった主張に一足飛びにいかないで下さい。そうした心情倫理的、かつナショナリスティックな主張はあってもいいのですが、論理展開としてはそこで止まってしまい、閉鎖的なサークル内でのみ通用するトンデモ説になりがちだと思います。

 (2)プロテスタンティズムの倫理、の欠如が二点目にあります。そもそも米国で大麻取締法が制定されたきっかけとして、第一にメキシコ人を中心とする新規移民、とくに有色人種に対するバッシングがあり(大麻喫煙はこうした移民に特徴的な文化でした)、第二に、アルコールなどの酩酊物質を禁忌とするキリスト教、とくにプロテスタンティズムの倫理があります。とくにこの宗教倫理は、現在のオランダでもイギリスでも、もちろん米国でも、反大麻派の倫理的背景をなしていて、この問題が一筋縄ではいかない理由となっています。

 ⇒たまにいわれる「石油会社の陰謀」説は十分な史料の裏づけを欠いており、私はタブロイド紙的な噂話の一つだと思います(全くナンセンスとも断定できませんが、少なくとも学術的には妥当ではありません)。ドラッグに関する法制史学者、例えばリンドスミス・センターのR. Bonnieなどの主張は、宗教倫理および移民バッシングを背景にした1920年代からはじまる婦人運動や青年運動、およびこれを支持層とする政治家と行政エリートによる立法だということですし、私が調べた範囲でもこの説明には妥当性があります。

 さて、お気づきのように、この最後の点のみが、日本が欧米諸国と比べて、大麻非犯罪化に「有利」な点です。宗教倫理的な反発をする層がほとんどいないということ、これは言い換えると、「信念をもって大麻取締法を支持」する人々は小数であり、大多数の人々は、「無関心的な大麻取締法支持者」である点にあります。したがって、薬学的・疫学的な根拠に照らして、大麻喫煙には、懲役刑に相当するほどの「公共福祉への弊害」がないことが、大手報道機関などから公然と言われさえすれば、意外と今の法律執行形態が決壊するのは早いのではないかと思います。

 ここまでで既に長くなってしまったので、記事を分割します。つづき

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水曜日, 2 月 10th, 2010 | Author: YAVY

参加者のみなさまおつかれさまでした。

遅くなりましたが、1/31(日)のサロンで話し合った内容を議事録にまとめましたので報告致します。

■関西カンナビストの2010年の活動計画について

(1)マリファナマーチについて

・外部・内部に向けた運動のアピールとして、今年はマーチをやるべきではないのか?

(実行委員は人数が少ないので、あくまで無理をしない範囲で)

・ただし東京のようなデモ行進は実施しない

→デモを実施するにはデモを仕切る人手が多く必要で、また万が一逮捕者が出た際の対応など、

デモに慣れた人がいないと厳しい。

(東京ではデモ慣れした人達がチームとなり、問題が起きないように人をまとめている。)

場所:扇町公園 or  大阪城公園

日時:5月下旬 or 6月上旬(東京と時期をずらす)

機材:音響機材一式(スピーカー、ミキサー、ギター&ベースアンプ、ドラム他)

発電機(予備機も準備)

車両:1台(テント・機材他運搬用、軽トラ程度でOK)

費用:10万程度(ペイできなかった場合はメンバー3〜4名で捻出)

300人以上の集客があれば、グッズの売上などでペイできそう。

・マーチをやる場合の実行委員の仕事の役割分担

音楽係 舞台の仕切、音響スタッフと出演者と間に立って調整

会計係 グッズ等の売上管理

宣伝係 フライヤー作成、配布、ネットでの告知

会場係 会場を借りる手続き、会場設営、撤去。

スタッフ仕切係 当日協力してくれるスタッフの募集、仕事の手配。

(2)大麻自由学校

・今年もNAOさんが講演予定(時期未定)

(3)医療大麻を考える会

・できることがあれば支援していく。

(4)ネットでの広報活動

・カンナビスト関西のHPをもっと活用していく

・定期的な情報発信が重要であり、少なくとも週1回ペースくらいの更新を目指す。

(エッセイやコラムの執筆メンバーを増やす?)

(5)議員への働きかけ

・大麻取締法を変える為には、議員に国会で審議してもらうことが必要。

→大麻の非犯罪化を求める一定数以上の声が顕在化してくれば、動く人も出てくる可能性も

あるのではないか?

(現時点では大麻問題に理解があったとしても、信念や正義感だけで動いてもらうのは難しい。

票になるとわかれば動く人もいるのではないか。)

(6)トークイベント

・社会学や産業、医療などの面から大麻をテーマとしたトークイベントを実施したい。

(7)アースデイ

・毎年各地で開催されている環境系のイベントへのブース出展

(8)楽器deBON

・楽器を持ち寄ってセッションイベント

■来月のサロン

日時:2/28(日) 19:00〜21:00

場所:ちきゅうだま(予定)

今回は数年振りにサロンに参加してくれたメンバーもいらっしゃいました。

昨年後半から海外や日本で様々な変革があったので、大麻非犯罪化運動も大きな動きがあるのでは、

と久々に参加する気になったとのこと。

私は 何かのきっかけですぐに法律が変わるとは思いませんが、運動が大きく前進できるかどうかは、

大麻を理解する人達のひとりひとりの小さな協力とほんの少しの勇気にかかっている、と思います。

金曜日, 2 月 05th, 2010 | Author: Pot

今回は僕の好きな吉田松陰について軽く書きたいと思います。

なぜ、いきなり吉田松陰?と思われるかもしれませんが、大麻非犯罪化の運動をする中でこれはある種の維新であると僕は思うからです。 そこで、日本で最近起こった明治維新からなにか学べるものがあるのではと思い、『世に棲む日々』を読んだのがファンになったきっかけでした。

時は、日本が鎖国していたに嘉永6年にさかのぼります。約160年前なのですが、当時の日本は鎖国していたため外国との国交を一部を除き完全にシャットアウトしてました。 もちろん一般人が海外に行くなんてご法度でばれたら打ち首レベルです。

そんな折に、浦賀沖にペリーが黒船を率いて日本に開国を迫りに来たのです。

江戸に留学していた松蔭は、噂を聞き浦賀まで駆けました。

そして、遠雷のごとく空砲を威嚇射撃する黒船を見た松蔭は武者ぶるいしたそうです。

書物の上で知っていた西洋の巨大な文明に、松蔭の持っている小さな文明があの砲声と共に打ち砕かれたように思いでした。

その後、ペリーは1年の猶予を残してアメリカへ帰って行きました。

この1年の間に松蔭はある決断をしていました。それは海外に留学することです。

広い世界を自身の目で視、知見を広げたいと、そのためには古い蘭語の書物しかない日本で学ぶのでは針の穴から天井を見上げるようなもので実際に海外で学びたいと。

そして、再び黒船が浦賀沖にやって来たと情報を得た松蔭は弟子の金子重之助と共に闇夜に紛れ盗品小舟で黒船に乗り込みました。

しかし、この時日本とやっとの思いで日米和親条約を結んだペルーは日本との関係がこじれるのを恐れアメリカへこの2人を連れて行くのを拒否しました。 そして、短艇で浜まで送られた吉田松陰らは自ら奉公所に自首したのでした。

その6年後、松蔭は安政の大獄により斬首されます。

しかし逮捕から斬首される3年間の間に故郷、長州で私塾松下村塾を開き、桂小五郎、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前田一誠等の維新の立役者となる人物を育てたのでした。

その話はまた次回にしたいと思います。

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